朝、わたしの名前を叫ぶ声に飛び起きました。時間は5時半。
階下から、爺やが何度も大きな声で私を呼んでいます。
「どうしたの?」と私。
「お母さんがいない、何処にいったんだろう、知らない?」心配そうに、不安いっぱいの切羽詰まった表情で。
じいやをリビングに連れて行きながら、また尋ねます。
「お母さん、どうしたんだったっけ?」と。
声のトーンも小さくなり、少し落ち着いた表情ではあったけれど、自分が忘れてしまった事に気がついた様子。
「お母さんはここよ」と仏壇の前に行き写真を見せましたが、何となくしっくりしない表情です。
ですが、私の事はちゃんとわかっていて、混乱の中でも少し安堵した様子でした。
パジャマのままの爺やを寝室に連れて行き、6時過ぎたので、雨戸を開けて、今、朝の6時であることを伝えましたが、朝とは思っていなかったようで
「どうしちゃったんだろう、私は」と。
「きっとお母さんの夢を見たんじゃない?それで、目が覚めて起きたらお母さんがいないから焦ったのよ、きっと。ほら、ここにもお母さんいるでしょう? 」
寝室に飾ってある母の写真を見せると
「あぁ、そうだね。ちょっと私はおかしいね」
少し落ち込んだ様子でしたが、着替えさせてリビングに再び連れて行き、お母さんに夢で会えて良かったねと言いながら、今は早朝であること、いつも通りに血圧を測って、お髭剃ってねとテーブルに用意していると、ようやく合点がいったようでした。
お母さんは、19年前に亡くなったとは言えませんでした。一度も喧嘩もせず、とても仲の良い二人でしたから。
落ち着いたので、朝ご飯までまだ時間があるから、少し待っててと言い残して、わたしも部屋に戻りましたが、だんだんと可哀想になってしまい、爺やはかなりリアルに母を感じて、本当にその姿を探していたのだと思うと、願いが叶わず落胆したかもしれず、涙が出てしまいました。
夫は、私に迷惑かけてしまってと、爺やに対する複雑な気持ちもあったようですが、爺やの朝食の支度と歯磨きをさせてくれました。
少しして階下に行くと、テレビを見ながらいつもの風景。ウトウトしたら、もう大丈夫です。
すぐに忘れてしまえるのは、こういう時、救われます。
夢でも会えて良かったね。
心配しちゃったね、爺やさま。
土曜日朝の出来事でした。
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