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2014年10月24日 (金)





新米。


父の納骨も終わり、帰って参りました。

しみじみ思う事は、がんは高齢者にとって、本人も家族も、万が一を考えて物理的な準備ができること、心の奥で覚悟の上で対応できる時間があるというのは、命の危機的状況が迫っていない長い闘病を伴うものより、救いがあるようにも感じています。

父の抗がん剤治療は、10年前のそれとは別物の様に、吐き気などの苦痛はほとんどなく、その日から食事も取れるものに進化していました。

見守る家族も本人も、肩透かしを受けたような印象だったのです。人によるのかもしれませんし、誰もがという訳ではないでしょうが。

父の直接の原因は、父本人による医師からの指示を無視し続けた事。
白血球異常からくる様々な身体異常から、最後は肺炎へ。
治療前と同じ仕事量、同じスタンスを変えないことにより、徐々に壊れいくがん細胞と、同じく壊れていく良い細胞が、正常な身体機能を徐々に奪っていった結果でした。

腫瘍はほとんどわからないくらいに小さくなり、痛みが消えた頃から、父の楽観視が始まり、家族の心配の声に耳を貸す事はなく、頑固一徹、我が道を進んだ父は、最後まで星一徹。

8月、見舞いに行ったわたしに開口一番に言った言葉は、

「ちょっと元気が過ぎた。
今度は長くなると思う。9月末まではちゃんと治療に専念して治す。長くなると足腰が弱って歩けなくなる可能性があるから、そうなると母さんが苦労するから、それが心配だ」

もう遅かったのです。我が父が、ようやく周囲の声を理解したのは、無菌室に入る状況になってからでしたから。

素直な人なら、今頃は家族全員で快気祝いをし、秋の恵みを享受できていたのです。それほど、前半の回復力と治癒力に病院のドクターも力強く根治へ期待していたのです。

父は、生きたいエネルギーを最後の瞬間まで捨てませんでしたが、あっけない最後に、本人も無念だったろうと、今更ながら思います。

しかし、父の半年間に及ぶ入退院生活は、電車の切符さえ買えなかった箱入りの母が、一人で生活していく為の心を鍛え、自立への後押しをしてくれていたのです。

母は、葬儀の最中も後も、私達の前では今でも泣きません。一度も。それが心配でもありますが、ご近所の方や従姉妹達が、毎日、誰かしら尋ねてきてくれ、一人の時間がないのが疲れるというほど。

姉は、夫を亡くしてみんなが悲しむばかりではなく、ホッとする人もいるの。お母さんは自分一人でお父さんを介護することができるか、責任と心配が大きかったんだと思うと言いましたが、一人で生きる事ができたのは、一見、強い父より、優しい母だったのかもしれません。

でも、いろんな人が来やすく、集まりやすい家庭を作ったのも、父の力量。
母の生活が、今後どんな変化が起きようとも、何不自由なく生活の心配ないのも、これまた父の力量。

父は母のために養子に入り、母のために生きてきたのだと、さまざまな思いを新たにした帰省でした。

天から母を見守る父の愛情を感じています。

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